難病でも明るくおバカに  ある筋ジス病棟患者の爆笑ブログ
追憶1
2008年09月02日 (火) | 編集 |
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3歳ぐらいからうちの病棟に入院している女の子がいた。 僕はその子と仲がよくてちっちゃ
い頃は車椅子の座席に乗せて抱っこしながらよく散歩に出かけた。 当時僕は13歳ぐらい。
おにーちゃんと懐いていて妹のような存在だった。

その子も大きくなり小6になっていた。すっかり女の子らしくなって髪をふたつに結んだりお
しゃれでおませな子になっていた。大きくなっても変わらず仲がよくて部屋に良く遊びにいっ
てたし、女の子たちのお泊り会に飛び入りで参加して一緒にセンター泊したこともあった。

性格は明るくみんなに好かれるタイプでしっかりしているように見られるが実は寂しがりで甘
えん坊だった。昼間はいいけど夜になると寂しくなるらしく廊下を通る僕をおにーちゃん来てと
呼び止めてることが多かった。

親元を離れて暮らす寂しさは僕もわかるから甘えさせてあげた。消灯だから帰るよといっても
握った手を離さないので消灯に遅れて看護婦に怒られることもたびたびあった。



15の春 5
2008年07月08日 (火) | 編集 |
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高校を卒業してもう25年以上経つのに校舎や教室を鮮明に覚えている。しかも感覚的に
はつい最近の事のようにさえ思える。

介助ボランティアも増えてきて女性も一人入ってきた。その人は短大のボランティアサー
クルの2年だった。それまで女性とほとんど話したことがなかったからすごく緊張した。

彼女は21歳だったけど精神的にかなり大人でいろいろ面倒を見てくれるおねーさんって
感じだった。そんな彼女に本は読まなきゃだめよっと一冊の小説をもらった。それまで
小説なんて読んだことはなかった。

そのときの初めての小説が太宰治の「人間失格」最初にしてはヘビィ過ぎない?(笑)
主人公の子供時代が自分に本当に似てたというか同じようなことを考えてたので見事
にはまった。






15の春 4
2008年07月01日 (火) | 編集 |
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風営法ではパチンコ店が行ってならない行為として、「現金または有価証券を商品として提
供すること」「客に提供した商品を買い取ること」と明記されている。

ではどうして換金が可能なのか?どのパチンコ店でも店の中で直接換金しているわけでは
なく、いったんクシやライター石といった景品(特殊景品と呼ばれる)に換え、客はそれを店
外のとあるべき場所で現金化している。

特殊景品を現金で買い取る(換金する)窓口はパチンコ店とは別の独立した組織であり、通
常、警察OBが経営に関与しているらしいのだ。

この特殊景品組織(買取り所)が買い上げた特殊景品は、いくらかのマージンを上乗せして
卸問屋に売られ、卸問屋はこれをパチンコ屋に再び売る。パチンコ屋はそれをまた、客への
景品として用意する。

パチンコ店、買取り所、卸問屋とみんな利があるのだ。もちろん国も税金でたんまり儲かる。
何兆円産業だからね。

だったらパチンコも公営ギャンブルにすればいいのに。なぜしないか?もちろんギャンブル
禁止という建前があるしあとの理由はいわなくてもわかるよね。大人って汚い(笑)

話がかなり脱線してしまった・・・


15の春 3
2008年06月30日 (月) | 編集 |
高校は繁華街がわりと近かったのでよくぶらぶらしていた。あるときいつも通るとき目に入る
パチンコ屋に入った。彼らにとってパチンコはただの遊戯ではなく生活の糧を得る真剣勝負だ。

当時はフィバーが出始めたころでまだ古い羽根モノも多く残っていた。釘の見方とか打ち方と
かいろいろ教わった。その甲斐があったのかビギナーズラックかはわからないが箱一杯分
勝った。

景品交換所にいって機械で玉を数える。タバコや菓子、インスタントコーヒーやラーメンとか
いっぱい景品が並んでいてどれにしようかと悩んでいたら交換所のおばちゃんは髪をとか
すクシを4,5本くれた。えーこんなもんいらねーと思ったけど一応もらった。

おっちゃん(学生)にこっちこっちと裏路地の看板もなにもないちっちゃい店に連れて行かれ
た。そこには銀行の窓口のようなものがある、中は見えない。その窓口にクシを入れると
中の人が受け取り代わりに5千円札が一枚出てきた。

法律ではパチンコ店での換金は認められていない。15のオレは社会の裏の部分を知る
こととなる。



15の春 2
2008年06月29日 (日) | 編集 |
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ボランティアの学生は当時4人ぐらいいてみんな大学生。いわゆるボランティアではなく最初
の学生がオレ今日バイトだからお前代わりにいってくれみたいなノリで増えていった。

とにかくみんな個性的で貧乏話とかおもしろくて人付き合いのイロハを学ぶことができたよう
な気がした。スクーリングは自分の受けたい授業を受けるので空き時間があり学校を出て
近くのデパートにいったりしていた。

そのうちサボリが増えてきた。ボランティアといってももともとマジメじゃない彼らに勉強以外
のちょっぴり悪さも教わった。


15の春 1
2008年06月28日 (土) | 編集 |
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昨日の続きの話。普通高校の入学を拒否され仕方なく通信制高校へ入学。勉強は自学自
習が基本でレポートを郵送。スクーリングは月たった2回。4年で高卒の資格は得られるが
普通科とは学力が雲泥の差だった。

中学は養護学校だったからずっと温室育ちだったのにいきなり外に放りだされて最初は不安
しかなかった。介助はボランティアの大学生。イマドキの学生ではなくてバイトで暮らしている
貧乏学生で髪はボサボサの長髪、ヒゲもあって15歳のオレからみたらただのおっさんにしか
見えなかった。

教室移動が主な介助だったがそのおっさん学生はちょくちょく消えるからさあ困った。スクーリングは
自分の受けたい授業を受けるので常にメンツが違う。養護学校のように先生や生徒が迎え
にきてくれたりやさしく声をかけてくれたりなんてことは一切ないのだ。

自分で、すみません。移動手伝ってもらえませんか?とまったく知らない人に頼むしかなか
った。温室育ちの15の子にはキツイことだったが人間追い込まれるとなんとかなるものでな
んとか頼めた。もちろん、おっさん学生の策略だった。

ひとりぼっちの恐怖で本気で学校をやめようかと思ったこともあった。